2011年12月11日日曜日

道具帳


私たちの職業である舞台美術家のデザイン画は道具帳と呼ばれ、現実の寸法比に基づき表現します。もちろん個々の舞台美術家により表現技法は様々です。私も色々の表現を試して来て、現在は色鉛筆によるモノクロの表現をしております。
これはずいぶん前の道具帳ですが、アクリル絵具によるエアブラシ技法で描かれたものです。
この道具帳は9月の罹災の折り、濡れて使えなくなったものや、不要と判断したものを整理していた時に写真家の海沼武史が持っていた物なのです。
彼は額装ディレクターの中村明博(八王子の額、美術用品店 東美の店長)と画策して私の新たな人生の出発点に合わせてプレゼントしてくれました。
私の舞台美術家人生の中では道具帳を絵画と捉えた事は有りません。あくまでも現実に舞台に乗せる為の手がかり、其の為のデザインを表したものなのです。
しかしこの額、舞台を客席からの視点で見たようなある種の緊張が張りつめています。
劇場のプロセニアムアーチそのものなのです。中村の思考と表現が隅々まで行き渡っているのが解ります。ありがとう。
これからの再出発にこれを手がかりに多くの仕事に取り組んで行きます。
いつも目につくところにこの額を飾り、これからの人生を悔いなく生きて行きます。
来年はまさに再出発元年になる事でしょう。よろしくお願いします。

2011年11月6日日曜日

罹災、そして今後の人生。


9月21日の事でした。私たちには今後二度と忘れないだろうという事がおきました。

台風15号が関東上空を通過して行こうとする時間帯。

午後4時20分を過ぎた頃、大きな音とともに南側の庭になにかが落下して来たのです。あっ、ベランダが落ちた!と思った私は階に上がりました。

でも目の前にはベランダは存在していました。ぼたぼたとする音に振り向くと畳の上に水滴と呼ぶには大量の水が室内に降り込んでいたのです。

とっさに私は押し入れを開き、押し入れダンスの引き出しの中の物をベッドに投げ、それを雨受けにしたのでした。

しかしそれも足りない状況で至る所から水滴が室内に落ちて行きます。

押し入れの中にも水が落ちているのを見て天袋を開けました。そこで私が見たのは大きな穴の開いた天井から大雨の降る空です。

途方に暮れるとはこの事なのでしょう。れいこせんせいとの連絡は取れたのですがあいにく市内に居り、ここまで帰ってくるのも大変な事。

普段はしないバス車内での電話、でも話の内容の解った乗客は降車の際、れいこせんせいに「がんばってね」と声を掛けてくれたそうです。

多分、わたしがパニックになっているのを察してくれたのか、れいこせんせいはほとんど登録していない近所の連絡先から人を介して写真家とイラストレーターの夫婦に連絡を取ってくれました。日も落ち、暗くなって行く中、まだ雨は強く降っています。そんな状況のわたしひとりの家の玄関が突然開き、頭にヘッドライトを付けた写真家とランタンを下げたイラストレーターの夫婦が飛び込んで来たのを見たときにはほんとに嬉しさが満ちて来たのを今も思い出します。武史、つくしには心から感謝しています。ありがとう。

そして駅にたどり着いたれいこせんせいをランタンとともに送り届けてくれた浅川食堂のマスター、ありがとう。

結果、家屋全壊、家財全損となりましたがその後40日以上を要した片付けに駆けつけてくれた多くの友人に今ふたりは感謝しています。ありがとう。

また、私たちふたりに多くの手を差し伸べて下さった稽古場の皆様、ありがとう。

罹災翌日にはここに住めと、安くしかも手数料無しで世話をして下さり、カーペットやコンロまで頂いた不動産会社すえひろの鈴木さんご夫妻、ありがとう。

着るものが無いのだろう、履くものが無いだろうと届けてくれた青ちゃん、ありがとう。畑の事は私がするからと、私たちの畑の世話をしてくれた酒井さんご夫妻ありがとう。

11月3日に最後の罹災ゴミが無くなりました。今は皆様に感謝する日々です。新たに踏み出そうとするふたりの人生に皆さんの思いが生かされるよう頑張って行きます。今後もよろしくお願いします。

2011年9月15日木曜日

無謀?

台風12号の影響か、断続的に大粒の雨が降る日曜日の夜。
どうせこの雨、なにも出来ないなら道志村へ行って雨でもながめつつボーっと過ごすかと夜9時半に道志村に向け出発。雨のドライブもなかなか良いもんだとアクセルを踏む。順調に進み、神奈川県と山梨県の県境、道志みちの両国橋に差し掛かり山梨県道志村に入ったところでゲートがあり、通行止め。事情を話してみようと車を降りるとお兄さんひとりずぶぬれ。
側に3台の車両があったから交代で立っているらしい。
なんだか人の良さそうなお兄さんだったから「道志村の家に帰りたい」と、思わず嘘がでた。
お兄さん、困惑気味に「この先がけ崩れもあったという情報もあり、もし途中ダメだったら引き返して下さいね」と言いながらしぶしぶゲートを開けてくれた。
その後の快調な事、前にも後ろにも1台の車も無くもちろんの事、人っ子一人いない。
なんだ、大丈夫じゃぁ無いかと進むうち村の真ん中に位置する道志村役場前も通過。
このぶんだと後17、8分で着けると思っているとまたまた通行止め。
そこは川の流れが道路の下部分を浸食してアスファルトが陥没したとの事、家に帰るのだけどと言うと、どこと聞かれたので住所を言う。しかしそこに立っていた人は村の人ではないらしく、そこは道の駅より先か?と言われ「少し先」と答えると進行方向右の細い道を指差し、そこを入って行くと幼稚園の側から出られるからと言われた。いまの立場はわたし、あくまで村の人なので幼稚園は知らないとは言えず、左かな、真っ直ぐかなと車を進める。
細い道には山側からの水を止めるため土嚢が多く積まれている。やっとのこと国道に出られたのだが先ほどからパトカーが後ろに付いているのに気づく。
また途中に通行止めの標識、しかし無人だったので通過。バックミラーにパトカーがまだ見える。
道の駅も過ぎ、もう大丈夫と車を進めるが残り70メートルのところに通行止めの標識。
立っていた人に指を指し、あそこを入ったところに帰るのだがと言っているところにパトカーが後ろに付く。    
警官曰く、先ほどの陥没現場で道の駅の先と言っていたというのに道の駅を過ぎてもどんどん行くものだから付いて来たとの事。
警官にもすぐ先を右に入ったところと説明。しかしこの地域、避難勧告がでているところもあり、危ないと感じたら避難してくださいねと、避難場所を教えてくれる。
ゲートを過ぎ、右手に入るところでバックミラーを見るとパトカーの灯りが見える。
確認しているのだなぁ、駐在さんありがとう。
さて家の前に到着、あれっ、目の前に大木。降りて確認すると前から立ち枯れていた杉の木。
とりあえず車を入れるため力を入れると動く、枯れているため軽くなっている様子。
車を止め、家の中でふたり顔を見合わせると安堵とともに不安も覚える。
外は通行止めのため車の音は聞こえず、普段はちいさな川の音がごうごうと響いてくる。
なにかあったら避難、を合い言葉に就寝。外は雨の音、川の音の自然音だけで普段より多めの睡眠となった。
翌日、村の人に会うと「台風で帰れなかったの」「よく来れたね」と口々に言われる。
避難勧告が出ている村に来るつもりは無かったのだけど無謀でしたね。
でも避難したひとが必ず言う事に「あのカレーは旨かった」がありました。
食べてみたかったなぁ。

道志山小屋の手前の通行止め…数百メートル先に行ったところでの崖崩れでした。
様子を見に来たダンプカーが埋まったそうです。しかし道志村ではひとりの犠牲者も居なかった由、良かった。





2011年8月10日水曜日

ドライトマト


梅干し作りの天日干しの笊にごろごろしていたイタリアントマトがこんなになった。
最近の真夏日続きもこんなところで役に立っている。
あとはケイパー、オリーブ、乾燥バジルと刻んだこのトマトをエクストラバージンオイルに漬け込むだけ。

おいしいパスタが食べたいねぇ。

2011年8月5日金曜日

ほんわか

れいこせんせいの膝の上には生後2ヶ月の子猫と一週間の子犬。そして側には親猫。
なんだか微笑ましく、今の日本を覆う殺伐とした空気や生気の無い世の中を忘れさせてくれます。いまさらに言う事ではないのでしょうが「子供は宝」なのです。
さあ!子供たちが待っているから早く稽古場に行きましょう。

2011年7月29日金曜日

道志村山荘


倉庫のつもりが山荘になってしまったのだが、小さいながらもウッドデッキも完成しました。
ただこのウッドデッキは日が昇って、沈むまで日が当たっている。
暑い!
今ホームセンターでは品薄のヨシズ。6尺の小さいものしか無かったが上に張ってみた。
すこしは凌げるかな。でも夕方はいいねぇ。ビールが旨い。
今年の夏はれいこせんせいの稽古場でも合宿?というのでもやりますか。

2011年6月17日金曜日

海沼武史×中村明博 展

海沼武史という写真家は以前ご紹介した事があります。二人展という形ですがもうひとり、中村明博という人物は額装ディレクターなのです。
写真家の表現を包み込む額は中村によりセレクトされ、美しく、それでいて出しゃばらずにひとつの表現にまで至っています。

私たち舞台美術家のセットを包む空間はプロセニアムアーチという額縁に収まっていますがほとんどの意見としては観客にとってその額縁は意識されないほうが良いと思っています。観客は視野の内にプロセニアムアーチから中を納めようとしているのでしょう。

この二人の作品ですが額縁という宇宙の中にまたひとつ広がりのある空間がみえます。
作品のあるものは額の真ん中には収まっていません。
中村の表現する宇宙は写真家海沼武史の静謐な感性の凸レンズの役割も果たしているのでしょう。
写真展は裏高尾町の自家焙煎コーヒー店ふじだなで今月いっぱい開催しています。
高尾駅北口から小仏行きバスで裏高尾下車1分。

2011年5月27日金曜日

ふ〜ん。

これはコーヒーのパッケージなのだがこの動物はなに?
これはインドネシアの島々で作られているコピ・ルアクというコーヒーなのです。
ジャコウネコが赤く熟した珈琲豆を食べ、消化されない糞の中から種を取り出し、焙煎したもの。世界一高級なコーヒーと言われているもの。
何時も行っている裏高尾のコーヒー屋さんの峰尾さんから電話があり、あのコーヒーが手に入ったから飲む?との連絡。
もちろん飲みますとも!
何人か常連が集まりみんなで飲む。ふ〜ん。

不思議な香りが口中に広がった。 ふ〜ん、   糞?

江口・宮アーカイヴ公演

れいこせんせいの師である江口隆哉、そして宮操子という日本の舞踊界の先達のお二人。
戦前のドイツへ渡り、ノイエタンツという新しい舞踊を学び、帰国後日本の舞踊の隆盛を極めたお二人の戦前から戦後の名作を今に残そうという試みの公演が5月14日、15日と3公演が日暮里サニーホールでありました。今回はれいこせんせいは衣装の再現と今の時代に合わせた考証を担当しました。私。舞台美術家も河野国夫先生という舞台美術界の大先輩が創られた装置を今の時代に合わせたものに再デザインさせていただきました。
プロメテの火という作品では作曲はあの伊福部昭先生という今の私たちにとっては最高の組み合わせになりました。作曲 伊福部昭 美術 江頭良年と並んでクレジットされたパンフレットは宝になりました。

2011年3月15日火曜日

連絡がとれた。

石巻の叔父は無事だったと聞きました。只、まだ電気が復旧していないので携帯を持たない叔父とは話していません。また、連絡は取れなかった岩手の内陸の親戚とも電気が通じた事で連絡が取れました。其のすぐ近くに住む事で安心していた従兄弟と話をしました。ところが、彼は気仙沼に仕事に行き、災害に遇ったという話を聞きました。彼は車ごと津波に流されたのだがリアウインドのワイパーに電線が引っかかり止まったところで側の家の2階に避難出来ました。其の話を聞いたとき、なんだかとても涙が溢れ、止める事が出来なかったふたりがいました。命というものを噛み締めた気持ちでした。
いまも静岡震源の地震がありました。
上野原、藤野は大丈夫でしたか。
とにかくここしばらくは用心に用心を重ねて、過ごしてください。
来週の稽古再開を楽しみにしています。

国難

稽古場のことももちろんですが、報道されるにつれ多くの被害を目の当たりにして愕然とします。れいこせんせいの親戚や稽古場にも被災地の血縁を持つ人がおります。また仲間の舞台関係者も消息がわからない人もいます。私自身はゆりかもめがテレコムセンターの駅に着いたところで地震に遭いました。もちろんホームは横揺れ、車体とホームの端が打ち合い大きな音の中、屋外に逃れましたが近くのビルから黒煙が上がっていました。東京近くの震源だと思ったのですが、それを思っても震源地の皆さんの恐怖は計り知れません。
被災された皆様には心からお見舞いを申し上げます。
これからはみんなで手を合わせ復興していくしかありません。
これは国難なのですから。


2011年3月14日月曜日

小山令子ダンススタジオからお知らせ。

大きな地震が広範囲の地域を襲いました。稽古場の生徒やスタジオメンバーからは被災の連絡は有りません。こちらからの連絡でも元気な声が聞こえて安心しています。
しかしながら今後の鉄道の運行、停電の事、学校の運営状況で稽古場のスケジュールが左右されます。また市民生活も混乱しているようです。
稽古場の方針として今月の木曜日のお稽古は全てお休みにさせていただきます。
その他の曜日に関しては一斉メールにてお知らせ致します。しばらくはこのブログにて稽古場のお知らせを発信させていただきます。
明るく、楽しく。みんなとレッスンが出来ます事を願っています。
私事ですが、実家・仙台の兄とは幸運な事に震災後すぐに連絡が取れました。奇跡とも言われました。まだ連絡の取れない石巻や岩手の親戚もおります。私どもはこの辛い試練の中も明るさを失わずに過ごしたいと思います。正直、テレビを見るのも辛いです。心配をして連絡を下さった皆様、ありがとうございます。

2011年3月6日日曜日

shoppin'gocart 石和田尚子

石和田尚子と彼女のカンパニーが3月29日、30日と公演をする。頑張っている様子に安心はするのだがやはり気になる娘のひとりなのです。交流のあったせんせいの稽古場のみなさん、ブログをご覧になったみなさん、ぜひ彼女の成長を見てやってください。
URL: http://www.shoppin-gocart.com
MAIL: info@shppin-gocart.com

2011年2月1日火曜日

海沼武史写真展 セツナキ微笑


海沼武史の写真展が2月28日まで港区麻布十番2−6−3カフェ・ベルマネンテ(03-6447-0125)で開かれている。わたし舞台美術家は写真を評価するには知識が足りなすぎる。
しかし武史の写真を見ると自分も同じく被写体に接しているデジャブ体験のような感覚に陥る。
自然光の色彩のなか、静かに語りかけ、見つめる武史の目がある。

日常から切り取られた一瞬かも知れないが、その前後の時間も感じられる。
やさしいのだなぁ。